海軍機が陸軍の隼に撃墜された 徴兵された父の話
私の父は徴兵された。父から聞いたホロムシル島での話 昭和17年私の父は徴兵された。 行き先は。ホロムシル島だった、しかし本当の目的地はアリューシャン列島だった。 ホロムシル島【幌筵島(ぱらむしるとう、ほろむしろとう)は、千島列島の北東部にある島。波羅茂知島(ぱらもしるとう)と表記されることもある。ロシア名はパラムシル島 】 となりの島では8月18日にソ連の武力攻撃により戦闘が行われた占守島(シムシュ島)、日本軍は武装解除をしていたが軍装を整えソ連軍との戦闘が行われた島である。 話を元に戻す ところがアリューシャン列島のアッツ島が米軍によって占領されることによって。 北千島ホロムシル島に赴いたままだった。父の所属は陸軍工兵隊 要塞建築隊であった。 父は、徴兵されることにより人生観が変わったとよく言っていた。 神も仏もない・・・よく言っていた。 兵隊の頃の話を、私に伝えてくれた。理不尽な話が多かった。 この事についても多くの話があるが後日としたい 明治生まれの父が、年齢的には兵隊の限界を過ぎている人間が突然赤紙で徴兵されたのだから。 人生観が変わるのも当然のことであると感じている。 いずれ父のことは記録として書かなければならないと思いつつ今日まで来ている。その一部を敗戦の月の8月だから伝えようと思った。それも昨日のNHKの放送が引き金となっている。 昨日インパール作戦のことがNHKで報道された。インパール作戦では親戚が戦死している。 文献では職業軍人であるその人は学徒出陣の軍人に自分は職業軍人だが君は生きて帰れと言う意味ことを述べたと言う話だ。 昨日のNHKの特集で無意味なインパール作戦の事が伝えられた。人づてにひどいことは理解していたが・・・・。 そこで父から聞いた、戦争が如何に理不尽、無意味であるかの話を伝えたい。 そこは北千島ホロムシル島での事 空襲警報がなった、多くの兵士が壕から見上げる中、一機の大型の飛行機が上空を飛行していた。 迎撃の陸軍隼が飛び上がっていった。 大型機は隼に向かって、翼を振った何回も。 しかし隼は無抵抗の大型機を攻撃し、大型機はついに撃墜された。 兵士達は手をたたいて喜んだ。 腑に落ちないことがあった。どうして大型機は反撃しなかったのか。と、 その疑問は間もなく解消された。 何と撃墜されたのは海軍の大型機だったという話が伝わってきたのだった。 無念だったろうに海軍の飛行機に搭乗していた人達。 さらに今思うにこの事は正確に遺族に伝わっているのだろうか。 いつも思う私の疑問だ。 |
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