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2015年10月 6日 (火)

恵庭事件の野崎さんの講演

レジエンド野崎健在・・・・恵庭事件の当事者の講演を聴きました

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自衛隊と果敢に闘った恵庭事件の当事者野崎さんは当年80歳です。しかし年齢を感じさせない講演でした。

当時をこう振り返り語ってくれた

 昭和30~32年  米軍はジェット機の騒音被害謝罪・補償を行った

しかし  
 昭和33年以降  自衛隊ジェット機、大砲の近代化、大型化に騒音が拡大
 
 さらに戦車の演習による演習場の荒廃により当牧場が発電用及び飲料
用の水利権を持つ湧水に濁水が混入、大雨のたびに生活用水が使えず、同
時に停電がおこる。

騒音による被害データの提出をするも 被害の増大 
      
 防衛施設局から移転の要請も立ち消え 昭和30年には母が精神的ス
トレスで胃潰瘍になって倒れ、父も33年春精神的にダメージを受け札幌
に疎開。

そのため私は33年大学卒業後直ちに、引き継ぎなしに牧場を受け継ぐ
、町は基地交付金をもらっているため、基地公害に強い抗議交渉が出来ず
住民運動をするにも基地の町ではみな腰が引けていて難しい。 

自衛隊のジェット機は私と弟が標的を取り壊すことにより、やっとコースを変更

標的も移動。

大砲について33年頃より、騒音が大きくなる。そのため演習場に行き、
演習中の砲列の前に立ち演習を止めることもたびたび。

道路以外のところを走っている戦車を見かけたときは、前に立ちふさがって追い返した。
 勿論、危険な行為であり、心臓が止まるかと患われるほど怖かったが、
 一家の生活がかかっていたからこそ、命懸けの抵抗をしたのである。

結局、札幌にある北部方面隊総監部に行き第4部長に抗議し、牧場近く
の特定地域では大砲の潰習は行わないこと、雲の低く立ち込めるときは特
に大砲の決菅は取りやめること。また牧場の水利権を侵害する汚水の原因
となる恐れがある地域では道路以外の戦車の通行をしないことも約束さ
せた。しかしこの約束は幾度となく破られた。

 (簸音や泥水の心配のない、平和な牧漸こ戻したいと思いながら)
 事件当日の話

さて事件当日の話をする前に、どうしても乳牛検定の話をしなくてはな
らない。乳牛検定は高品質の乳牛を選別し,種畜牡牛を登録して乳牛の改
良を進めるのが目的である。乳牛の長命性を求めるた桝こ必要な体型審査、
そして乳量・乳質検査の結果、三代続けて成績の良いものはその記録と共
に高等登録牛の資格を得る。そのため対象となる牛の一頭一頭の乳量と乳
質の正確な検査が必要となる。不正を防ぐために,検定員は一カ月に一度、
事前連絡なしに牧場にやってくる。そして朝と夜の乳量と乳質を立会検査
し、それを30倍し、一カ月に換算したものをホルスタイン協会に報告す
る。一日の乳量で一カ月の乳量を推計するので、検定日の乳量が少なくな
ることは、その日の損失ばかりでない。当該牛のみならずその子牛の価格
にも、大きく影響するのである。私の牧譲も当時すでにブリーダーとして、
高い評価を受ける牛群を所有していたので、その影響はとくに大きかった
のである。

 事件の当日、昭和37年12月11日早朝検定員がやってきた。

こともあろうに、検定員の立ち会う搾乳の最中、突然近くで砲音が鳴り響いた。
緊急事態である。弟が大砲の射撃現場に交渉に行き、約束が違う。今日
は検定日だからどうしてもやめるように」と申し入れた。

しかし自衛隊が
聞き入れなかったので、やむを得ず緊急避難を図り、

強い抗議を示すため
に、発射地点と着弾地点を結ぶ連絡用通信線を切断した(先方に与えた被
害額せいぜい数百円)。

これが

翌日、写真とともに新蘭に実力行使の写真とともに記事が載った。
 実力行使後、自衛隊がどう対応してくるか、反応を待ち続けた。
 数日後、北部方面隊総監の声明とともに自衛隊が告訴したのを知った。
新聞に載った総監の声明は、加害者の意織が全くない、驚くべきものだっ
た。

このようにして恵庭事件は始まった

続く

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